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アルブレヒト1世 (ブラウンシュヴァイク公) : ミニ英和和英辞書
アルブレヒト1世 (ブラウンシュヴァイク公)[あるぶれひと1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

アルブレヒト1世 (ブラウンシュヴァイク公) : ウィキペディア日本語版
アルブレヒト1世 (ブラウンシュヴァイク公)[あるぶれひと1せい]

アルブレヒト1世(Albrecht I, 1236年 - 1279年8月15日)はブラウンシュヴァイク=リューネブルクの1人で、ヴェルフ家出身のブラウンシュヴァイク=リューネブルク公(在位:1252年 - 1269年)、ヴォルフェンビュッテル(在位:1269年 - 1279年)。ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公オットー1世ブランデンブルク辺境伯アルブレヒト2世の娘マティルドの長男で、リューネブルクヨハンの兄。後のハノーファー王家イギリス王家(ハノーファー朝)などの男系祖先である。
1252年の父の死後、その領土を弟のヨハンと共に統治した。ゾフィー・フォン・ブラバントマイセン辺境伯ハインリヒ3世テューリンゲンを巡る争いについては、アルブレヒト1世はゾフィーの娘エリーザベトと結婚していた縁でゾフィー側に立ち参戦したが、1263年のベーゼンシュテットの戦いに敗れて捕虜になった。その後解放されたが、テューリンゲンはハインリヒ3世が所有する事になった。
1260年9月ハーメルンアエルツェンを中心に勢力を持っていたエーファーシュタイン伯家のコンラート4世を討伐し、各城を攻略してその影響力を徐々に弱めた。
1267年、ヨハンが所領分割を要求、アルブレヒト1世は1269年にこれを受け入れ、ヨハンは北部のリューネブルクツェレハノーファーを、アルブレヒト1世は南部のブラウンシュヴァイクアインベックグルーベンハーゲンカレンベルクヴォルフェンビュッテルハルツ山地ゲッティンゲンを領有する事になった。
1279年死去。遺体はブラウンシュヴァイク大聖堂に埋葬、領土は3人の息子の共同統治となった。
== 子女 ==
1254年ブラバント公アンリ2世ゾフィー・フォン・ブラバントの娘エリーザベトと結婚したが、1261年に死別。
1263年モンフェラート侯ボニファチオ2世の娘アーデルハイトと再婚、7人の子を儲けた。
*ハインリヒ1世(1267年 - 1322年)
*アルブレヒト2世(1268年 - 1318年)
*ヴィルヘルム1世(1270年 - 1292年)
*オットー(? - 1346年)
*マティルダ(? - 1310年) - グウォグフ公ヘンリク3世と結婚。
*ルター(1275年 - 1335年) - ドイツ騎士団総長
*コンラート(? - 1303年)


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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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